―― 関西万博が映す技術と法の最前線 ――
関西万博は「技術ショーケース」ではなく「法律の実験場」
2025年4月、大阪・夢洲で開催される関西万博(EXPO 2025)。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、世界各国の最先端テクノロジーが集結する。AI、ロボット、ドローン、空飛ぶクルマ、NFT、デジタルウォレット――そのすべてが現実世界で稼働する「未来の縮図」だ。
しかし、この壮大な実験場の裏側では、前例のない法律問題が次々に浮上している。技術が先行し、法制度が追いつかない。そんな「未踏地帯」をどう切り開くのかが、いま問われている。
エンジニアにとって関西万博は、単なる祭典ではなく、技術と法の境界を学ぶ教材でもある。本稿では、万博で顕在化する7つの法的テーマを、実際の技術動向と絡めて掘り下げていく。
ロボットとAIの「自律性」が招く責任の空白
会場内では案内ロボット、配送ドローン、清掃ロボットなど、数百体の自律ロボットが稼働する予定だ。彼らはセンサーとAIを組み合わせ、人間の指示なしに行動判断を行う。
では、もしロボットが来場者にケガをさせたら? その責任は誰が負うのだろうか。
想定シナリオ | 法的責任の帰属先 | 根拠となる法律 |
---|---|---|
プログラムの欠陥による誤作動 | 開発者・製造者 | 製造物責任法(PL法) |
運用時の設定ミス・メンテナンス不足 | 運営会社 | 民法第709条(不法行為) |
学習データの偏りや誤認識による事故 | 開発者と運営者の共有責任 | 契約条項+過失相殺の判断 |
完全自律行動による「判断ミス」 | 現行法では未定義 | ※AIの意思決定責任は法的空白地帯 |
EUではAI Liability Directive(AI責任指令)の議論が進み、AIを利用した損害に対し「過失の推定」を導入する方向が検討されている。一方、日本では「AIはあくまで道具であり、人間の補助物」との立場が続いており、AI自身に責任を問う仕組みは存在しない。
つまり現段階では、万博で稼働するAIやロボットが事故を起こした場合、設計者・管理者・運営者の連携責任として扱われる見込みだ。
法がAIの自律性をどう定義するか――それが、技術社会の成熟度を映す鏡となる。
顔認証とデジタルウォレット:便利さとプライバシーの綱引き
関西万博では、入場管理や決済に「顔認証」と「デジタルウォレット」が導入される予定だ。スマートフォンやICタグではなく、顔そのものがチケットになる。
だが、その裏側で収集されるデータは膨大だ。位置情報、行動履歴、購買履歴、表情の変化――それらは来場者の“行動DNA”ともいえる。
日本の個人情報保護法では、顔画像は「要配慮個人情報」に該当しうる。本人の明確な同意がないまま収集・解析・共有すれば、法違反となる恐れもある。
さらに、万博終了後にデータが企業のマーケティングや研究に再利用される場合、その扱いは一層センシティブだ。
データの種類 | 法的扱い | 同意の必要性 |
---|---|---|
顔認証画像 | 個人情報 | 明示的同意が必要 |
位置情報・行動履歴 | 個人関連情報(改正法上の新分類) | 提供先の特定と通知義務あり |
購買履歴 | 匿名加工情報に変換すれば合法利用可 | 再識別禁止が条件 |
デジタル化が進むほど、「誰がデータの主で、誰が利用者か」が曖昧になる。
エンジニアに求められるのは、技術的な暗号化・アクセス制御だけではない。法的なデータガバナンス設計を、開発段階から意識することだ。
建設と契約:遅延は「違反」か「不可抗力」か
万博建設の遅れは社会問題にもなった。人手不足、資材高騰、酷暑など、さまざまな要因が重なっている。
しかし法律的に見れば、これは契約の履行遅滞の典型事例だ。建設請負契約において、納期遅延は通常「債務不履行」として損害賠償請求の対象となる。
ただし、天災や資材の供給不足のような外的要因がある場合は「不可抗力(force majeure)」として免責されることもある。
ここで問題となるのは、契約書にその定義が明確に書かれているかどうかだ。
エンジニアリング業界でも、プロジェクト契約に「不可抗力条項」を明記しないまま、結果責任だけを背負うケースは多い。
万博のような大型プロジェクトでは、契約条項の一文が数十億円を左右する。
契約遅延の要因 | 法的評価 | 債務不履行リスク |
---|---|---|
設計ミス・仕様変更 | 当事者の責任 | 高 |
資材不足・輸送障害 | 不可抗力の可能性あり | 中 |
労働力不足・人員確保失敗 | 原則として責任あり | 高 |
自然災害・異常気象 | 不可抗力条項があれば免責可 | 低 |
契約は、トラブルが起きてから読むものではない。
プロジェクトの初期段階で、「責任の線引き」をいかに設計するか。
それが、法務知識を持つエンジニアの実務力を測る指標になる。
NFTチケットと電子マネー:技術の新顔、法律の旧顔
関西万博では、デジタルチケットやNFTを活用した入場・記念品管理の仕組みも検討されている。
NFT(Non-Fungible Token)はブロックチェーン上で発行される唯一無二のデジタル証書であり、転売防止や限定配布に適している。
だが、法制度の整備は追いついていない。
NFTは「電子記録移転権利」として金融商品取引法の対象になる可能性もある。
一方で、単なるデジタル記念品として扱う場合は、資金決済法や消費者契約法の範囲にとどまる。
「NFTを販売するのか」「譲渡権を付与するのか」で法的分類が大きく変わるのだ。
NFTの利用形態 | 該当する可能性のある法律 | 規制の内容 |
---|---|---|
入場チケット型(譲渡不可) | 消費者契約法 | 誤表示・返品対応義務 |
記念コレクション型(譲渡可) | 資金決済法・景品表示法 | トークンの換金性に注意 |
二次販売対応型(マーケット連携) | 金融商品取引法 | 有価証券性の可能性あり |
NFTを導入する企業やエンジニアは、「ブロックチェーン=自由」ではなく、「トークン=法的文書」という意識を持つことが求められる。
デジタル資産を設計するということは、同時に契約と責任を設計することでもある。
共同開発と知的財産:成果物は誰のもの?
万博の技術展示の多くは、企業・大学・自治体・スタートアップの共同開発によるものだ。
だが、共同開発には常に「知的財産の帰属問題」がつきまとう。
たとえば、AIモデルのアルゴリズムをA社が開発し、学習データをB大学が提供した場合、その成果物はどちらの所有になるのか。
特許法上は「共同発明」として両者に権利が発生するが、商用利用や再利用の許諾には全員の同意が必要だ。
このルールを契約で明確に定めていないと、万博終了後に事業化が頓挫することすらある。
開発フェーズ | 権利帰属の主体 | 契約上の留意点 |
---|---|---|
基礎技術(アルゴリズム・設計思想) | 研究機関・企業 | 著作権の譲渡・利用範囲 |
実装コード・UI設計 | 開発ベンダー | 成果物利用の範囲を限定しない |
学習データ・生成コンテンツ | 提供者と共同開発者 | データの二次利用可否 |
ブランド・名称・ロゴ | 万博協会または委託先 | 商標登録・再利用禁止条項 |
技術の結晶は法的にも「共同作品」になりやすい。
開発契約を結ぶ際には、**「知的財産の出口戦略」**を最初から見据えることが重要だ。
空飛ぶクルマと法整備:空を飛ぶには法律も飛ばねばならない
関西万博の象徴的プロジェクトが「空飛ぶクルマ」だ。
国内外の複数企業が有人飛行の実証を進めており、2025年には夢洲上空を実際に飛行する計画がある。
だが、この分野はまさに「法の未踏地帯」だ。
航空法では「航空機」として登録が必要だが、空飛ぶクルマはドローンと同じVTOL(垂直離着陸)型であり、規制が曖昧だ。
現在は国交省が「空の移動革命に向けたロードマップ」を策定中で、特例的に試験飛行を許可している。
安全基準、操縦資格、事故時の責任、保険制度――すべてが「これから」決まる。
項目 | 現行法での扱い | 今後の課題 |
---|---|---|
登録制度 | 航空法に基づく「耐空証明」が必要 | 新カテゴリーの整備 |
操縦資格 | 航空従事者技能証明が原則 | 自動運転レベルで緩和検討 |
飛行区域 | 指定空域のみ | 都市上空での安全基準策定 |
事故責任 | 運航者責任(民法709条) | 自動運行時の責任分担の明確化 |
技術の未来を切り拓くには、法の柔軟さが不可欠だ。
関西万博は、「空の法制度」を実地で試す最初の舞台になるだろう。
生成AIと著作権:AIが描いたパビリオンの作者は誰?
万博の公式ロゴや展示では、生成AIを活用したデザイン案が数多く検討されている。
だが、AIが生成した作品には著作権があるのだろうか?
日本の著作権法は「思想または感情を創作的に表現したもの」を保護対象としており、AIが自律的に作ったものは著作物として認められない。
つまり、AI生成物そのものには権利が発生せず、それを指示した人間が「著作者」とされる。
しかし、AIが大量の学習データから作り出した作品には、他者の著作物が含まれる可能性がある。
訓練データに無断利用が含まれていた場合、著作権侵害のリスクはゼロではない。
対象物 | 権利の有無 | 誰に帰属するか |
---|---|---|
AIが完全自動生成した画像 | なし | 著作物扱い不可 |
人間がAIに指示・修正して生成 | あり | 指示した人間 |
学習データに他人の著作物が含まれる | 侵害の可能性あり | データ提供者の同意が必要 |
エンジニアが生成AIを使うときは、「作る」だけでなく「使う」「公開する」段階にも法的責任が伴う。
AIが生み出す創造は、人間の法的責任と切り離せないのだ。
関西万博は「未来の法務教材」である
関西万博は、世界中の技術を一堂に集める実験場であると同時に、法律の進化を促す装置でもある。
AIが人間の代わりに判断し、ロボットが自律的に行動し、データが資産として取引される。
そのとき、法はどのように“責任”と“自由”を設計すべきなのか。
エンジニアは、法務を敵ではなく技術の安全装置として理解する時代に入った。
コードを書くことと同じくらい、契約や法律を読む力が重要になる。
関西万博が終わっても、そこから得られる教訓は、次の社会実装に必ず生きる。
2025年の夢洲――それは、「未来の技術」と「未来の法律」が初めて同じステージに立つ場所なのだ。
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